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■ セピア色の音                                2010.8.112011. 3.14



8月1日(日)熱中症になりました。

昼も夜もエアコンの部屋にいて、表に出る時は水を持ち水分を補給して。
新聞やTVの熱中症報道は他人事のように見ていました。

日曜日散歩から帰って異様にだるいのですが暑さのせいと勝手に思い。
月曜日になってもだるさが続き、午後に念のため体温を測ったら、なんと39.3℃。

風邪の表情もないし暑さのせいだろうからその内収まるかな。
と、軽く考えていました。

火曜日になり朝方37℃前半なったのでこれで収まるだろうとタカをくくっていましたが。
午後から又39℃代になり、ヤット異変に気づき水曜日午前中に病院に行き熱中症の診断を受けました。

水分摂取と部屋の室温管理はいいが塩分が足りないのではないか、とのお話でした。
カロリーの摂り過ぎに注意し適度な運動をして、塩分を控えめにとの指導を守り気を付けていたのですが、臨機応変と言う事ですね。

熱中症はぶり返すそうで、体温が安定したのは2〜3日前です。

大事に至らず、良い経験になり自分への警告と受け止めています。
「塩加減」
とはこんな風に生まれた言葉なんでしょうか。

皆様の何かのヒントになればと思い書き留めてみました。

そんな騒ぎの中、注文していたCD28枚組の全集が手に入り興味のある曲から少しずつ聴き始めています。

この全集、19世紀から20世紀初頭に活躍した名演奏家のSPレコードを、コンピューターを屈指して雑音を取り除きCD化したもので、感激ものです。

SPの録音を聴く、そのような懐古趣味は自分にはあまりなく、演奏そのものに惹かれ凄さが迫ってくる、訴えかけてくる、そんな感じです。

最初の印象は
「魂が揺さぶられる」
他に表現の方法がない感じで、その一言です。

現代にも素晴らしい演奏家が各分野で活躍していますが、また何か違うものを感じます。

その違いは、と思うのですが。
機械を使うか使わないか、もしかしたら、と思い当たったのですが皆様はどうお考えでしょうか。

当時録音は経済的理由により1回限りの真剣勝負だったそうです。
家庭で簡単に自分の録音を聴きそれを参考に練習をしていく、こんな事は当時の人の想像を超えたところに有った事でしょう。

今日、私達が耳にする音楽は繰り返し繰り返しスタジオで録音されたものを、継ぎはぎ編集されたものがほとんどです。

自分の演奏を部屋で録音して聴き、どの様にすれば良いかのヒントを得て練習をしていく。
100年前には考えられない夢のような事ですが、
そんなとこにも、
もしかしたら現代演奏家の新しい方向性が現れ始めているのではないか、その様な思いを抱かせる当時の貴重な演奏を聴くことが出来、感無量です。

この事を、音楽や芸術の世界に止まらず現代社会全般に感じ、一抹の不安と共に受け止めているのは私だけでしょうか。

しかしながら、今日の科学の進歩がなければ100年も前のSPレコードから雑音を取り除き、歴史に残る大音楽家の演奏を聴く、その様な事は不可能ですから。

この辺も、塩加減。
科学とどの様に付き合っていくか、難しい選択をしなくてはならない所に来ているみたいですね。
地球の健康も含めて。

目先の、日本の発展を考えても。
もはや、ハイテクやハコものだけで勝負する時代ではない気もします。

少しのミスもなく完璧を求める分野は当然ながら必要で、それ無くしては生き残れないのも事実です、その分野も益々発達していく事でしょう。

しかし、如何に優れた技術や発見も模倣され、いずれ追い越される運命にある事も、また事実です。

参考にはされても決して真似することの出来ない、心の部分。
これは、私たち日本人の得意分野ですね。

テクノロジーをどの様に発展させ人々の幸せに結びつけるか。
そこに、グローバル社会で生き残る日本の可能性が有るように思います。